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高齢者・障害者とインターネット(3)
内田啓太郎
北海道教育大学函館校専任講師
社会学者
前回のコラムでは高齢者とインターネットの関係について書きました。そこで一番主張した点は「誰かとコミュニケーションする道具」としてインターネットが役立つ、ということでした。
「では、障害者にとってはどう役立つの?」というのが今回のテーマです。これは私自身の感覚なのですが、「誰かとコミュニケーションすること」は障害者にとって、高齢者以上に必要なのではないでしょうか。最近ではそうでもなくなりつつあるのかもしれませんが、社会にとって障害者は「保護されるもの」であります。これは聞こえは良さそうに思えるのですが、その背景には−あえて乱暴な言い方をするのなら−「保護してあげるから、別に深く社会と関わらなくていいよ」といった考えがあると思います。
だからこそ、それへの反省として、「ノーマライゼーション」や「バリアフリー」といった考え方が市民権を得つつあるのでしょう。つまり、「障害者も健常者と変わりなく社会に参加したい」、そして、「そのためにはどうすればいいのか」ということを社会全体で考え始めたということなのでしょう。
ここで「誰かとコミュニケーションする」ということが重要になってきます。私の専門である社会学では、社会とは人と人の関係(これを社会関係とよびます)が複雑にからみあったネットワークである、としています。さらに、この人と人の関係はコミュニケーションによって絶えず作り変えられ、維持されてもいるわけです。
言い換えるならば、「社会に参加する、関わる」とは自分以外の誰かと−相手が健常者であれ障害者であれ−コミュニケーションし続けることなのです。ただし、ここでは「コミュニケーション」という言葉を単に「誰かとおしゃべりする」といった類の意味だけにとどめておかず、もう少し幅広くとらえます。というのも、人の生活が自分以外の誰かとの関わりのなかで営まれる以上、そこにコミュニケーションが発生しないわけはないからです。仮に「晩ごはんを食べる」という生活の一場面を考えてみても、そこには、献立を家族と相談する、食材を買うために店の人とやりとりする、そして、家族と話をしながら食べる、といった具合に各所でコミュニケーションが発生しています。
あたりまえと言ってしまえばそれまでなのですが、このあたりまえのことすら、障害者にとってはなかなか実現できていなかったのです。それは「保護されるもの」としての障害者にとって生活の中で関わる人たちが、ごくわずかに限られていたからでしょう。つまり、コミュニケーションはあってもバラエティに富むものではなかったのです。
ここで、コミュニケーションの道具であるインターネットの出番なのですが、それは次回に書きたいと思います。(続く) |