震災支援タイトル

一般社団法人 東京都医療社会事業協会         No.6  2011.12.10

災害支援ニュース

つたえる
心をつたえる…様子をつたえる…事実をつたえる…手立てをつたえる…気持ちを伝える

 11月12日(土)~13日(日)、「宮城県MSWとの交流会と被災地訪問」を企画し、理事10名を含む都協会会員27名が参加しました。
 当日の活動内容は以下の通りです。

12日  17:30


東日本大震災活動報告
会場:仙台市立病院 10階大会議室   
演者:石巻赤十字病院 MSW 八島 浩氏  
高次脳機能障害者を支援する会(仙台白百合女子大学) 廣庭 裕氏
  20:00 交流会:15名の宮城県協会の方々と行いました。
13日   被災地訪問
訪問地域:南三陸町~石巻市内~石巻赤十字病院見学

社会問題対策部部長  加藤 淳 

震災の被害の大きさと、被害を受けた方々の負担、そして困難な状況や様々な問題が未だに続いていること、それらをどのように言葉で表わせばいいのかが判らないでいます。 震災から9ヶ月が経ち、一部では復興の兆しを見せていますが、逆に世間では「風化」という言葉が使われ出してきています。私だけかどうかは判りませんが、東京都内で過ごしていると、震災の被害について実感が湧きにくくなっているのが正直なところです。
 実際に現地に出向き、宮城県協会の方々の話しを伺うことにより、大きな無力感・不全感を感じるとともに、少しでも何か出来ることを行わなければならないという気持ちが生じます。それは今回参加された他のメンバーも同じ気持ちであったと思います。
 今回の企画に関して、被災者の方々への直接的な支援やボランティア活動ではなく、見学を中心とした活動のみであることに不満を感じた会員の方もいらっしゃると思います。
 しかし感想文にある様に、結果として宮城県協会の方々から話しを伺うことによって多くのことを学び、交流を深めることが出来たこと、そして災害について深く感じられたことは重要なことであるはずです。今回の企画が参加者の、今後の支援に活かしてゆくきっかけとなれば幸いです。
 今回の宮城県訪問や8月に行ったいわき市で見たこと・感じたことを周囲に伝えてゆくことも重要な役割です。また、都内における避難された方々との関わりや、現地に出向いて支援活動を行ったりと、MSWそれぞれの勤務内容やスケジュールに併せて活動を行ってゆくことが必要だと感じます。
 当協会においても、今後も様々な支援活動を企画し、継続してゆきます。一人でも多くのMSWが力を合わせなくては進めることが出来ません。
 今後とも何卒よろしくお願い致します。

~私たちは忘れない~宮城県MSWとの交流会と被災地訪問 2011.11武山ゆかり 

 文字通り「忘れられない旅」になりました。8か月が過ぎようとしているのに、地震と津波と、救援路を火事で断たれた石巻市民病院はあの日のまま。1階の窓という窓は、大きく割れたガラスの鋭い切っ先の連なる縁を残し無残に。緊急に運び出したマットや機材の散乱する出入り口や半分落ちかかった天井、泥の残るフロア。揺れの続く中、混乱と避難の叫び声を建物の奥深く吸収したまま、今は不気味な静けさの中にありました。
 辛うじて津波の浸水から免れることが出来、災害医療の中心となった「石巻赤十字病院」の発災から1カ月間の日々の様子、MSW八島 浩氏が語られた背筋のゾクゾクするような臨場感を感じつつ聞いた昨晩の報告が、目の前の半ば浸水し廃屋となった石巻市民病院の、そして午前中に訪れた南三陸町公立志津川病院の、まだ2階の庇に漁船が乗り上げたままの痛々しい姿と重なって、震える思いでたたずんだ時間でした。
 漁港や住宅地は、3月の被災直後から何カ所も見て回っていましたが、今回は、胸が締め付けられました。本来なら私たちの慣れ親しんだ雰囲気を持つ病院や福祉施設を、画像ではなく間近で、破れたカーテンが風に舞う痛ましい姿で、また避難施設でありながら、焼けただれ、流された学校の崩れ壊れた前に立つと、ここで、むなしく失った多数の命を思い、いっそう涙が湧きあがり、悔しさが込みあげます。
 昨晩は、宮城県協会会長をはじめ、何人ものMSWが、被災した日のこと、家族とめぐりあえるまでの思い、歯の根が合わないような寒さの中での救援、次々に来る人々や不足する物資の対応に不眠不休の状況だったことなど、話して下さいました。被災直後の施設の内部の被害、マスコミを通じては決して流されない津波による被害者の無念の姿、助けを求めていた手。累々と並ぶご遺体。見る度に、話す度に、傷を深くえぐられるような思いにちがいない、悪夢の日々の記憶を、再び呼び起こすつらい思いをおかけしたことを、本当に申し訳なく感じました。「写真には残し、今日皆さんに見せはしたが実は夢中でしていた救援で半分記憶にない」「不安がありながらも避難所に帰した方が、その後介護を受けられているか・・」「SW仲間に会えたのは震災後今日が初めて、会えてよかった!」「実家も、1人立ちしたアパートも、懐かしい時代の家も、全部流され、盆に帰る家も無くなった。泣きたいが泣けない!」「今でも行方不明の福祉大ゼミ生がいて・・」「泣く人をサポートしなければならず、まだ泣けない。3.11で時間が止まっており、未だ自分の中での整理が出来ていない」と、さらりと話されながらも目を潤ませ、こちらも涙をこらえてのお話しでした。
 今回の訪問の時期は、身内を亡くし、職場が壊れ、生活の場を失くしたMSWたちが、もしかしたら、やっと少し、自分のことを語ることが出来始めた時だったのかと思います。
 画像でのつぶさな報告をして下さった廣庭 裕氏は、進まない復興に、3.11で心の中も止まっている人も多いと語り、「復興には30年かかると言われている。今MSWになったばかりの人も30年間、震災のことに関わることになる。あなた方の30年に託すので、頑張って欲しい。」と参加したMSWにメッセージを託されました。「一緒に考えてくれる仲間がいることがわかった。こんなふうに、一緒に居ることで元気になれるのなら、自分たちも他の人々の『元気』にもなれる」と言った仲間がいます。
 震災後1カ月を経ず、お子さんの生まれたSWがおられました。大変な混乱の中、父親として母子を守りきれなかった思いを抱えながらも、これから子どもの成長にしっかりと向き合う覚悟を、参加者を前に語られました。娘さんは「希望」の一文字を名前に加え7か月を迎えています。宮城でも東京でも、健やかな成長を祈り、見守るたくさんのSWがいることをお伝えしたいと思います。
 子ども達の未来の問題では、原発の存続や医療支援など「まだまだやらねばならないことがある」と決意された何人かのSW、失ったものは大きいが、「全部」が流されたわけではない」「信じられる人たちのことを知りえたことは大きかった、上を向いて歩いていこう」と前をめざす声もたくさん聞こえています。
 今回、参加された27名の都協会会員がそれぞれの職場で、ブロックで、地域で多くの方に、つたえ語って、これからの長い支援を下さる原動力になることと思います。
 広い農地の再生が必要な仙台市、生産や、観光の収入が激減した石巻市、街のほとんどの機能を流された南三陸町とこれから厳しい経済復興も課題です。宮城の方に「冬は寒いんでしょう?」と聞きました。「仙台都心や石巻は、雪も踝位まで、そんなに寒くはないですよ。」と、これからの来訪も大丈夫と言って下さいました。仮設住宅の訪問活動、観光や買い物など様々な支援が待たれています。「一緒に」歩いて春をめざしましょう。