震災支援タイトル

一般社団法人 東京都医療社会事業協会         No.19 2013.5.21

災害支援ニュース
つたえる
心をつたえる…様子をつたえる…事実をつたえる…手立てをつたえる…気持ちを伝える

岩手県訪問報告

震災支援対策委員会
委員長 加藤 淳(南町田病院)

 去る3月30日(土)から31日にかけて、時間の都合のつく理事で協会活動とは別に岩 手県を訪問しました。
 一昨年から昨年にかけて都協会において福島県と宮城県には訪れているので、岩手県に もいずれかは行かなければならないという思いがあったことと、年度末という事もあり多くの皆様にはお声をかけることができませんでした。  
 訪問内容に関しては、武山会長が下記において詳細に記しているので割愛しますが、訪れた時の自分の気持ちだけ記させて頂きます。
 余りにも何も無くなってしまった広大な土地に立った時に、ただただ呆然せざるを得ませんでした。そこにかつて在った建物や、住んでいた方々1人1人の生活の光景が自分の中に浮かび上がります。復興や再生という言葉は、私の立場からはもう安易に口にしたくないと思いました。ましてや風化なんて・・・と。
 釜石市根浜海岸では、表現として不適切かもしれませんが、あれだけ多くの方々の命を奪ったはずの海が、残酷なぐらい余りにも静かで綺麗な光景に映りました。
 「この2年間、自分自身、震災支援の委員長として何を行ってきたんだろう・・・」という、どうしようもなく申し訳ない気持ちで胸が詰まりました。そして、ソーシャルワーカーとして支援し続けなくてはならない責任感に苛まれています。
 あれから何週間か経ち、東京に戻ってきた今となっては、とにかく活動を続けなければ、伝え続けなければという思いでこの文章を書いています。無力感や不全感ばかり延々と感じていたのでは何も物事が前には進まない。被災された方々への支援は当然のこと、震災による様々な被害体験から、今後の震災対策へと繋げてゆくことも早急に進めてゆきたいと思っております。
 もし、震災支援に関心が薄れてきた方達がいたとしたら、一度は被災を受けた地に訪れて頂きたいと思います。震災の記憶が「風化」することはありえないはずです。
 そしてお互いに支援活動を継続してゆければと望んでおります。

何も無くなった街で

武山ゆかり

 2年目の3月
 案内をしてくれたのは、釜石市で高校卒業迄を過ごした理事。震災直後もすぐに育った地に飛んで行きましたが、瓦礫に覆われた全く違う街になっていたとのことでした。今回は、釜石市大槌町から大船渡、陸前高田、気仙沼と津波の傷跡を辿りました。いずれも大きな被害があったところを中心に見て回りましたが、全壊の家はすでに撤去されており、道路の修復は進んでいました。

 病院、役場の流された大槌町にて
 大槌町は、役場で会議中に津波に襲われ町長が亡くなったという街です。ほとんどの建物が流され、建っているのはわずかに残った2、3の建物と、津波が通り抜け窓を破り、壁をえぐった痛ましい姿の町役場のみ。慰霊の祭壇前で手を合わせた時間は奇しくも半分残った長針が示して止まったままの時計と同じ時刻でした。市街地を見渡す城山で、訪問看護師として町内を飛び回っておられた理事の叔母にあたる方から発災からの話を伺いました。親族を探し、がれきを超えて避難した自宅近くの防災センターに横たわる姿を見出したこと、流された家の跡には思い出の品ひとつも残っていなかったこと、震災直後から手分けして、残された利用者を訪ね歩いたことなど、穏やかな海と幹線道路を、工事用車両の走行を見下ろしながら伺いました。城山には阪神大震災から届けられた「鎮魂の灯火」も尽きずともされ続けています。

 

 より高い所へ、中学生が小学生、大人を促して避難を
 その後、ホームのみが残る鵜住居駅前5分の2階建て防災センターに。となりの幼稚園や近所の障害者や高齢者を含め、200人以上と思われる方が2階のホールに集まってきていたところに天井近くまで津波が到達。震災直前に「避難訓練」の場所として使われたが、本来は災害後の「拠点避難所」であったセンターに避難したことによる被害であったと。避難室に置かれた祭壇にはおもちゃやお菓子、親子の名前の書かれたカードや写真などが数多く置かれ子を、母を、連れ合いを呼ぶ声が聞こえるような気がして胸が詰まりました。想定外とは言え、町役場や避難センターで命を落とした無念は如何ばかりかと!案内してくれた方には、そこで偶然見つけた同級生の名前や失った肉親を思うと、今年夏には壊される予定と聞くその建物に、複雑な思いを持って案内してくれたものと思います。屈強な消防署員や公務員のいる建物に避難し、ほっとした人々が全て流されたという事実さえ、この建物が撤去され、なくなることで、忘れ去られてしまうことの危惧を強く感じましたが、さりとて何も出来ないことに、只々悔しい思いを抱くことしか出来ませんでした。
 次いで、率先して、小学生や施設のお年寄りをより高い所へ、と促し急いだ釜石東中学校と鵜住居小学校の子どもたちの通った道を辿りました。なだらかな上り坂でしたが、真剣な面ざしで小走りに、この道を急ぐ子どもたちの姿が見えるような緊張を覚えました。『医療ソーシャルワーク59号』の表紙になった、釜石市根浜海岸の市民や観光客の憩う場であった美しい穏やかな海に向かい、何もかも流された海浜施設や崩れ歪んだ防波堤を虚しい思いで眺めました。

 鉄鋼の街から
 釜石市街を見下ろす由緒ある石応禅寺の墓地から、空き地の目立つ市街を鳥瞰し、かつて9万人以上の市民が住み働く鉄鋼の町釜石が、経済の打撃と、震災・津波の被害で4万人以下まで人口が減り、大きな危機に瀕していることを実感しました。かつて多くあった繁華街が流され、工場により強い流れが遮られた地域やわずかに高台であったために大破は免れた店、仮設商店街が、足元の悪い中営業していましたが、さびしい街になっていました。
 遠洋漁業で有名な漁港大船渡は、深い湾の入り口にひしめいていた漁業関係施設が広範囲に流され、31店舗、42店舗と大型仮設商店街、屋台村が設置されていました。それだけたくさんの店が流されたということなのです。山の上にある「県立大船渡病院」は釜石市から気仙沼に至る広い医療圏に対応しています。言い換えると三次救急はリアス海岸特有の海沿いの山道を夏時間で1時間かかる距離。冬ならば積雪や路面凍結で救命救急に必要な時間内にたどり着くのは難しいのでは…、と。個々も、震災時には、内陸との交通が途絶え混乱したそうです。

 何もかも流され…
 行けども行けども流された跡に建物の土台が続くばかりの陸前高田市はみごとに駅のホームのみを残し、レールさえ流され、駅前ターミナル植栽の縁取り、繁華街のメインストリートであったであろう広い道路らしい空間のみが、かつての繁栄を想像させるところでした。病院も警察も市役所も学校もすべて流され残ったのは、あの有名な一本松。 「復興」など考えられない景色でした。新しい街や産業を興すしかない市を、市民は市長や役所の方々はどんな思いや合意を想定し取り組んでいるのだろうか?と、人の姿の見えない市街地で考えました。

 活気の戻る漁港に
 雨も降り出し、全員言葉のないまま、気仙沼市へ。雪交じりとなった雨にけぶる気仙沼漁港は、消失や浸水は海沿いや湾岸地域で、街の中枢の流出は防ぐことができました。現在では漁港としての力強さは復活し、観光客を集め、賑わいを取り戻していました。産業が守られれば、暮らしが成り立ちます。流され、散り散りになった住民も元の仕事の仲間が集まり、再開を懸け力を合わせ、意見をたたかわせ、競い合う。そうしたことが、復興の力になっていることが、共同海山物加工場、冷蔵施設や復興商店街、プレハブ屋台村、観光物産商店街などの展示や店主の話からうかがい知ることが出来ます。自然の大きな力でかき混ぜられた海は、湾岸のヘドロを一掃し、きれいな海底を甦らせ「潮通りがよくなって昔の海が帰ってきた!」と古老が喜び、豊かな漁が戻ってきたといいます。
 しかし、この浜に、高い堤防をつくり、津波の逆流に破れた河川にコンクリートの堤防を築いたら、その工事でまた自然は破壊され海の川も生態系が変わります。「人が自然との距離の取り方を忘れてしもうたしっぺ返しだっちゃ」という、語り部爺の言葉が思い出されます。

 何ができるか問いつつ
 今回の岩手県を巡る旅は、地元理事の運転と道案内で、被災の規模や其々の被災地域の今の違いを実感できた2日間でした。25年前に訪れた釜石の街、かつての患者さんが帰郷した気仙沼と、美しく豊かな印象だったところが、どのようになってしまったかと不安な思いで向かいましたが、いずれも「それでも頑張って、元の生活を!」と取り組む人々の生活を見ることができました。目に焼きついて離れない陸前高田の荒涼とした風景を、今はとりあえず胸にしまいますが、「東北の復興」のニュースを見るたび、聞くたびに、思い出し、何が自分にできるだろうと自らに問いつつ、そして何らかの動きをしつつ、生きることになるでしょう。
 今後や夏へ向け、休みの内の2日間でも良いから、東北を巡ることを勧めます。あなたの目で見、SWの視点で感じ、考えて下さい。

 「つたえる」では、会員の皆様からのご意見を募集しております。震災と、その支援に関しての意見や想い、伝えたいことなど、是非お寄せして頂ければ幸いです。字数など、特に細かい制限はございません。
掲載希望の方は、都協会事務局にご連絡の程、よろしくお願い致します。

発行 一般社団法人 東京都医療社会事業協会 震災支援対策委員会
〒162-0051
東京都新宿区西早稲田2-2-8 全国心身障害児福祉財団ビル5F
電話 : 03-5272-4732   FAX : 03-5272-5779
Mail
: ttn82yj27c@mx10.ttcn.ne.jp