震災支援タイトル

一般社団法人 東京都医療社会事業協会   No.29  2014.10.23

災害支援ニュース
つたえる
心をつたえる…様子をつたえる…事実をつたえる…手立てをつたえる…気持ちを伝える


[1]福島県南相馬市訪問の報告

 震災支援対策委員会
加藤 淳(牧田総合病院)
 先月、都協会による福島県南相馬市訪問を行いました。今回その活動報告をお伝え致します。  なお、11月発行予定の「東京MSW」にも参加者の報告を掲載致します。併せて御一読ください。 今回の福島県訪問にあたり、農家民宿「いちばん星」の星 巌さんをはじめスタッフの方々、小鷹 昌明先生、鹿島区社会福祉協議会、仮設住宅で出会った方々、福島県MSW協会の方々に深く感謝致します。
 また、「いちばん星」の方々との関わりのきっかけを作って頂いた中下 大樹さんにも深く感謝致します。本当に有難うございました。
 参加者の感想にもある通り、今回限りの単発ではなく、来年度も継続して実施してゆきたいと考えております。今回交流会に参加して頂いた福島県MSW協会の方々とも、今後も様々な形で交流を重ねてゆくことを約束しております。
 その際には、多くの会員の方々の協力が必要となります。何卒よろしくお願い致します。

日程:2014年9月13日(土)~14日(日)
当協会からの参加人数:12名

[行程]
13日(土)
 
11:00福島駅集合~高速バスにて出発、飯館村を通過しつつ南相馬市原町へ  
~民宿「いちばん星」星さんの案内で、小高区(避難解除準備地域)訪問 (沿岸部~双葉町入口~小高駅~小高町ふれあいセンター)
→「いちばん星」宿泊 スタッフ・参加者同士の交流会  

14日(日)

以下は参加者からの感想の抜粋です。

  • 期待以上の収穫を頂きました。感謝です。気になりながら伺えなかった“福島・南相 馬市”の地に足を踏み入れることが出来ました。
    現地で暮らす方々、バスに同乗されていた飯館村から都内に避難されている男性、“いちばん星”の星様や奥様、小鷹先生、仮設で暮らす方々、そしてこのツアーを企画・ 運営して下さった理事をはじめ、同行者の皆様に感謝!!

  • 仮設で出会った方達と、「またお会いしたいですね」の握手を交わし合った様に思いま すこのツアーの第2回を実施して頂けたら、ありがたいです。
    次回は集まった方と一緒に楽しめるプログラムのお土産も持ってゆけたら、なお良いかなと思いました。

  • コミュニティーの大切さを感じました。

  • 福島に着いてバスの中の移動から新聞・テレビで見聞きしていたことが現実、現場として目の当たりにしたこと、出来たこと。渡利という地名だったものが単なる地名で はなくなったこと、そしてあの飯館村...新幹線の中で見た黄金色の稲穂や里山の美 しい光景が、飯館村は誰も住んではいない、生活していないだろうと住めないのに、 家屋もそのままなのに...言葉を失ってしまう体験、そして海沿いの風景。2年半という経過があっていくらか整理されたとのことだが、人が暮らして来た場所がなくなってしまうという現実、乗り手をなくして置き去りにされた自転車たち。
    感想を言葉にすることは出来ないというのが今の状態です。ただ、見て、感じて、聞いてと出会いは心に刻みこまれました。

  • 今何かをするということはとても難しいことですが、今回のように自分の目で見る、 聞く、感じるということは本当に大切なことと思いました。単発ではなく、何回か継 続することを希望します。

  • 福島駅に到着し高速バスで原ノ町駅へ向かう途中、黒い除染袋を見つけると、福島に来たという実感が少しずつ湧いてきました。その後広く見渡せるような原っぱが続きましたが、草の間から家の土台と思われるコンクリートがあることに気付き、津波によって多くの住民の暮らしが奪われていったこと、3年半の時が経過してもなお復興を進めることのできない深刻な状況にあることが伝わり、胸が締め付けられるような想いでした。そして、避難区域の設定や被災状況などによって地域が分断され、住民一人ひとりの想いは複雑に絡みあい、さらに度重なる転居など環境の変化を強いられるというストレス状態が長期化していることが想像されました。
    小鷹先生によると、脳卒中の患者さんが増えた印象であると言います。食事そのものに対する関心すらなくなってきた方々もいると伺いました。仮設住宅の集会所でお会いした方からは、「畑でつくっても食べてくれるの?と思う」「やはり将来(放射能に よる)影響が出てくるんでしょうかね」といった先の見えない不安の声が聴かれまし た。
    こうしたなかで、現地ソーシャルワーカーの方々は被災者でありながら支援者である ことへのジレンマをもちつつも、地域住民のために毎日最大限の力で真剣に取り組み、人として、専門家として問題に向き合い続けていることを知りました。「出向いて、何が起きているかを周りに伝えていくことはできる」、その言葉を心に留め、私自身も実践していきたいと思います。


福島県訪問と交流の2日間 報告

武山ゆかり(豊島区医師会)  福島を目指す新幹線の車窓には、気持ちよく晴れた安達太良山系の青緑を背景に、もう間近に稲刈りを迎える黄金の田圃が広がっていた。2011年8月に、福島原発南側の立ち入り禁止区域いわき市の北端を訪ねて以来、都協会のボランティアツアーは3年ぶりとなる。この日の『福島民報』紙は「15日から一般通行可能 6号国道全線 帰還困難区域3年半ぶり規制解除」を報じていた。
 旅の経過は他のメンバーの記録に任せて、今回はお話を伺った方々の本音としてつぶやかれたことを報告する。
 寸断されている常磐線が「相馬駅」から南下した終点「原ノ町駅」前で出迎えの民宿のご主人・星氏の案内で午後一杯を使い、被災した沿岸部や、まだ通行規制中の原発に一番近い双葉町入口まで回ることが出来た。100世帯近くが居住し、津波に流され亡くなられた方も多かった地域に建てられた鎮魂碑、その向かいの敷地にひっそりと置かれた庭石の前の花立てには、つい2日前、3年6ヶ月の祥月命日に活けられた秋の花がまだ鮮やかな色で揺れていた。堤防が決壊し、集落も、漁港周辺の商店や加工場、田畑も、全て今は秋草に覆われ、地盤沈下し湿地となった葭原には幾種類もの野鳥の棲み処に、除染土や汚染ガレキの置き場が白い塀とビニールシートに囲われ設置されていたが、累々たる大きな黒いビニール袋は新聞の歌壇にもこんな風に詠まれている。「破るれば苦しみ地底まで染むごとく積み重ねある汚染土袋」(9/14付上記地方紙)
 星さんは震災当日、出先から職場である市役所に戻る途中の高台付近で津波に。辛くも付近の住民と共に高台に孤立しながら一晩を耐え、翌日自衛隊ヘリで住民を避難させたと話された。「この分岐点で、浜に向かう道を選んでいたら、今私はいません」と。高台の被災住民の誘導中に聞いた爆発音も、「まさか原発での水素爆発とは思いもしなかったからねぇ。だいぶ浴びたろうね。」「町ではヨウ素剤も用意はしてあったんだけどぅ」と言う言葉に、いずれも返す言葉が見つからなかった。今でも、地元民は許可書通行可となっている原発に近い避難区域を通るときは、高い放射線量に、ついアクセルを踏むという。警戒区域で動く人影は、暑い日差しにも重装備の警備員や重機の運転手、除染作業員、そして県外からのパトカーなどのみ。専ら男の世界だった。
 車中から、多くの生活の中断の様子を見る毎に胸が痛んだ。どのような生活をこの家や田畑の主人は送っているのか…。案内者の母堂も、「何回かの避難の繰り返しで、転々と慣れない避難所や、度々の親戚宅に寄宿して、余ほど気を使ったに違いない、申請はしなかったが、関連死だと思う。」とのつぶやきに、直接死を上回ると報道されている震災関連死の数にあがらない犠牲の、実は多くあることが予想された。見えず、書かれていないことをこそ、感じ、胸に刻んで帰ろうと誓った。(3年間で県内震災関連死は1664名にのぼる)  
 夜の食事会から、南相馬市立病院に発災後赴任され、今は地域の復興にしっかり「はまっている」神経内科医小鷹氏を迎え、昼間訪れた夜間の帰宅禁止区域小高町ふれあいセンターで開催している「男の・・・」イベント立ち上げや運営の話を。また、この「ふれあいセンター」の管理を委託されている方、実は東電の復興推進室南相馬グループマネージャーS氏にお聞きした話なども報告した。東電職員にたいし、住民はどのように反応されているのでしょう?夜間の帰宅制限など、今も制限あるコミュニティーの再興に、「社員」として、どのようなお気持ちで当たられているのでしょう?など、応えにくい質問もさせて頂いたりしたので…。「一人ひとりの社員さんはね、心を痛めて何とか復興させたいと努力してくれているんですけどね…。」と、小鷹先生からは、ご自分の赴任直後の気負い、お互いに理解し合うまでの地元住民との葛藤も含め、その道のりの中で築いた今について、なども率直に話された。2年間でよくここまで!と、にこやかに先生の話に頷く星さんを見ながら、様々なぶつかりをも経て、結ばれた信頼の道のりへ、思いを馳せた。
 夜の「交流会」は、「原発に一番近い病院」南相馬市立病院や町内での医療事情などをお聞きした。若い就労人員の流出・減少により、介護の手の不足や開業医の廃業など、退院先の確保が難しい現実も多く、MSWは超多忙と。また孤独死や生活習慣病の防止活動「男の…木工教室や料理教室」と復興支援物産販売促進事業への参加なども、小鷹先生の「相馬野馬追い神旗争奪戦・初参加」の武勇伝へと発展しての楽しいエピソードに及んで盛り上がった。明日の仕事の予定で飲まれない小鷹先生に遠慮してか、野馬追の甲冑に睨まれながらのせいか、殆ど飲む方の少ない真面目な、でも楽しい民宿の夜の「炉辺談義」であった。

 医療事情や困っている問題は、2日目の仮設住宅での傾聴ボランティアでも、いろいろ出された。集会所での10時の「ラジオ体操の時間」に集まった高齢者や1才、0才のお子さんを連れて遊びに来た若い母親、地元住民のセンター職員からも状況をお聞きした。震災後産婦人科病院が入院を受ける人手が確保出来ず、食事なし入院や、やむを得ずの廃院、皮膚科・耳鼻科の不足もあり、病院は大混雑と、震災直後から3年半後の今も、不足している医療機関や通院の足の確保が多く出された問題であった。通院支援ボランティア事業など、やはり他の被災県と違う「支援の手の不足」が明らかにある。3年間、米は作れず、風評被害で農作物は売れず、働き場があっても、公立保育園は閉園中。職住とも、若い人には暮らしにくい諸条件等々…。原発問題の二重・三重の被害ということか。此処でも、復興公営住宅入居、宅地への再建など思うようでないことが話され、新たな眠れない日々で「3キロも痩せたよぉ」という方もあった。集会室の人には気付かれない和室の隅で、1人漫画を読みふける中学生は「仮設住宅は狭く居場所がないから」と、ここが彼の隠れ場所。しばし相馬野馬追の話に「いつか出てみたい」と目が輝いた。じゃあ、身体をつくらなきゃ、とはっぱをかけた。仮設を出られる日が待ち遠しい。内部被ばくに負けるな!

 午後、コンビニや道の駅で買ったおにぎりを車中で頬張り、高速バスで福島駅に向かった。カウンターの針が大きく動き、人の気配の全く無い「除染中」の旗のみ目立つ、かの飯館村を越え、福島市内に戻り、3時からの福島県MSW協会の方々との交流会を開催。被災県のSWと支援に来るSWの立ち位置、どう、何が出来るか、など率直な話が出来た。参加された市内のMSWから「こういう機会が持てたことに感謝」して戴くことが出来、双方が「元気が出た!」と感じたことが何より大きな収穫であった。「こんな苦労を、他県のMSWにして欲しくない」と経験やあらかじめの対策に多くの助言をいただいた。
 9月14日(日)の新聞1面は「第一原発1号機建屋カバー解体開始時期見えず」と、安全なふるさとの復興への道のりは見えない。稲の作付は今年から許可になったが、多くの田はそのまま4年目を迎える。今は雑草のはびこる草地が、いつか、黄金の穂波の田に戻り、山のキノコが収穫できる時が迎えられる日をと思いつつ、2日間の旅を終えた。

[2]宮城県MSW協会との交流会と被災地訪問

日程:2014年11月29日(土)~30日(日) 

 今年は宮城県の県南地域である山元町から亘理町方面にかけて訪問を行います。震災発生以降、現地で生じている様々な問題や課題に関して、宮城県のMSWの方々と共に、実情を知り、考え、学んでゆく機会となることを望んでいます。
 当日は、亘理町出身のジャーナリストである村上和己氏や、山元町在住で語り部活動をされている庄司アイ氏、岩沼市の特別養護老人ホーム「ライフケア赤井江」のスタッフの方々に参加して頂くことが決定しています。その他、亘理町の関係者の方々のご参加に関しても相談中です。
 スケジュールとしては、初日に宮城県MSWの方々との交流会、2日目に貸し切りバスにて現地へ訪問となっています。
 多くの方々のご参加をお待ちしております。

[3]災害講演会「あなたとつくる その日の備え」

日程:2015年1月11日(日)午後   
会場:南大塚ホール(豊島区南大塚2-36-1)
共催:東京都社会福祉士会

 講演に関して、豊田吉彦氏(福島県生活環境部避難支援係主任主査)の参加が決定しています。その他の出演者に関しても、現在検討・調整中です。

開催準備に向けて、もしくは当日会場にてお手伝いして頂ける協力員を募集致します。
開催・会場の規模が大きいため、多くの方々の協力が必要となります。
御協力の可能な方は、都協会事務局、もしくは牧田総合病院 加藤宛(03-3762-4671)までご連絡の程、よろしくお願い致します。

  「つたえる」では、会員の皆様からのご意見を募集しております。震災と、その支援に関しての意見や想い、伝えたいことなど、是非お寄せして頂ければ幸いです。字数など、特に細かい制限はございません。
 掲載希望の方は、都協会事務局にご連絡の程、よろしくお願い致します。


発行 一般社団法人 東京都医療社会事業協会 震災支援対策委員会
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