震災支援タイトル

一般社団法人 東京都医療社会事業協会   No.32  2015.3.24

災害支援ニュース
つたえる
心をつたえる…様子をつたえる…事実をつたえる…手立てをつたえる…気持ちを伝える

 東日本大震災から今月の11日で4年となりました。4年経った今でも、地域よっては復興どころかまだまだ復旧の段階であること、そして様々な環境や生活状況、人間関係に関して、時間の経過によって新たな負担や問題を抱える方々も多くいらっしゃいます。
 オリンピックの開催など、例え国全体が復興ムードで湧いているとしても、被災体験をされた方々の心の痛みは、この4年の間に癒えたとは言い難いです。 震災支援に対する医療ソーシャルワーカーの役割は、時の経過によって変わってきますが、その責務に関しては一切変わらないですし、今後も続いてゆきます。
 会員全体で想いを共有しながら、活動を継続してゆきますので、何卒よろしくお願い致します。

 

(編集担当より)


[1]宮城県亘理郡訪問と宮城県MSW協会との交流会の報告

 震災支援対策委員会    加藤 淳(牧田総合病院)

 昨年11月29日から30日にかけて行った、宮城県亘理郡訪問と宮城県MSW協会の方々との交流会の報告です。掲載までに、当初の予定より遅れてしまったことをお詫び申し上げます。
 当協会による宮城県訪問と交流会は2011年11月を最初に毎年実施しており、今回で4回目となります。
 今回、当協会としては初めて、宮城県の県南部にあたる亘理郡への訪問を行いました。

(1)亘理郡訪問にあたって

 きっかけは2012年12月に遡ります。神戸にて開催された「震災とQOL」をテーマとしたQOL研究会に参加しました。演者の一人として参加されていたのが、宮城県亘理町出身のジャーナリストである村上和己さんでした(余談ですが、他の演者として昨年お亡くなりになられた黒田 裕子さんも参加されており、とても充実した会でした)。村上さんは震災発生以降、被災地に幾度となく足を伸ばし、取材を続けています。その研究会において被災地各地の様々な状況に関して、詳細な報告を語られていました。その報告の中で、ご自身の出身地である亘理町の現状の内容があまりにも印象に強く残り、その後も心の中に引っかかるものがありました。
 そしてその後、時が経ってしまいましたが、思い立って村上さんに亘理町への同行をお願いしたところ、快く承諾して頂き、今回の訪問へと結びつきました。
 亘理町訪問の計画に関しては、宮城県MSW協会の方々とも準備を進めていました。結果として庄司会長の母上で語り部活動を行っている庄司 アイさんや、特別養護老人ホーム「赤井江マリンホーム」のスタッフの方々の協力も得ること出来、岩沼市~山元町~亘理町を含めた亘理郡訪問となりました。

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村上 和己氏の著作

震災関連の著作としては、「3.11絆のメッセージ」(2011年6月)、「風化する光と影」(2012年3月)、「震災以降 終わらない3.11~3年目の報告」(2014年4月)があります。

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「震災以降 終わらない3.11 ~3年目の報告」

村上 和己他編著

三一書房刊

2014年4月発行


(2)当日の行程

11月29日(土)
15:36 東京駅発
17:37 仙台駅着
19:00 宮城県MSW協会との交流会(仙台駅近辺)
当日は宮城県MSW協会の庄司会長や村上氏を含め、計13名が参加。1年ぶりの懇談を重ね、想いや情報の共有、交流を深めさせて頂きました。

11月30日(日)

8:30 仙台より出発           
 東京都MSW協会・宮城県MSW協会併せて13名参加。村上氏の案内にて貸し切りバスにて移動です。
 岩沼市に向かう途中の車中にて、岩沼市の医療機関である総合南東北病院MSWの菊地知憲さんにより、岩沼市の概要や震災による被災状況、そしてその後の復興状況など、詳細な資料に基づいてレクチャーが行われました。

[岩沼市]
特別養護老人ホーム 赤井江マリンホーム訪問

 赤井江マリンホームは、元々沿岸より250メートルの太平洋間近で運営されていました。震災時は津波により建物は全壊となってしまいましたが、幸いにも利用者・職員の 方々共に一人の犠牲者も無く、避難されております。
 現在、新しい建物が岩沼市の内陸部に建設され、運営を再開されています。
 今回、鈴木信宏事務長より、震災時の状況やその後の再建についてのお話を伺い、ディスカッションを行いました。
 また、鈴木事務長の御好意により、「奇跡の脱出―3.11のマリンホーム―」とい う書籍を頂いております。スタッフ一人一人の証言が記録された貴重な資料となっております。

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[山元町] 
庄司アイ氏の講話(山元町歴史民俗資料館 創作室)

 マリンホームを出発し、庄司アイ氏の講和の会場となる山元町の歴史民俗資料館へ と向かいました。庄司アイ氏は、宮城県MSW協会の庄司克也会長の母上で、宮城県山元町在住、「山元民話の会」の代表を務められています。「山元民話の会」は山元町の文化や歴史を次の世代に引き継ぐ活動を行う語り部の会です。震災以降、周囲の方々の被災体験を聞き取り、新たな民話として語り継いでゆく活動に取り組まれています。
 収集された証言は「小さな町を呑みこんだ巨大津波」という小冊子にまとめられています(単行本としても販売されています)。


「~語り継ぐ~ 小さな町を呑みこんだ巨大津波」

やまもと民話の会編


小学館刊(2013年3月発行)
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 庄司アイ氏による講和後、宮城県MSW協会の庄司会長がバスに同行。かつて自宅 があった周辺も含めた、山元町内を案内して頂きました。
※下の写真は小学校の建物です。

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[亘理町]
住民の方々との昼食とディスカッション(港町集会所)

 山元町から亘理町へと移動。町内の集会所にて、住民の方々と一緒に昼食をとり、その後ディスカッションを行いました。
 この日の昼食は「はらこ飯」です。 現地の料理人の方がこの日のために手間暇かけて準備して頂きました。

 亘理町は、仙台市から南に約26㎞の距離に位置します。震災により、町の面積の47%が浸水、300名以上の方々が亡くなられ、5000棟以上が全半壊の被害を受けています。
 昼食後はディスカッションでは、参加者全員による自己紹介後、住民の方々により、震災発生時の状況や、今現状では何が問題となっているかについて語って頂きました。

  • 住居の問題(「オリンピック開催決定以降、資材の価格が高騰」「建築にあたり、現地 の職人が不足している」「定住する場所に関して、家族間でも意見が一致しないケースがある」

  • 地域の問題(「戻ってくる人の数が少ないこと」「(荒浜地区に関して)以前は約1500 世帯、11の行政区だったのが、震災後は約250世帯に減少し、行政区も6つになってしまった」「(仮設住宅内における)身内同士のストレスで、別々に暮らす家族が増えている」)

  • 経済的な問題(「若い人の仕事の場はだいぶ少なくなった。地元の企業も衰退。若い人 が戻ってくる見通しも未定。再建をあきらめている自営の人も多い。」「震災直後は、がれき処理の仕事に結構地元の人が参加したが、今は(その仕事も)無くなった」「二重ローンなどのお金の問題を抱えている人は多い」「農業・商業への補助制度に関して、様々な制約があるので、運用するには使いにくい」)

 そして、住民の一人一人が様々な複雑な問題を抱えていることや、お互いのコミュニケーションの場が少ないこと、介護漂流の体験など、全てを記すことは出来ませんが、様々な現状・問題を伺わせて頂きました。
 今回のディスカッションの中で、「復興に関しては少しずつ進んでいる。しかし、精神的な面を言わせてもらえば、全く進んでいない」という言葉を、住民の方々は繰り返されていました。「心のケアは全くない」「皆さんのような仕事をしている人がもう少し欲しい。聞いてくれる人がいない」という言葉の数々。
 限られた時間の中でのディスカッションですので、当然ながら全てを理解できたわけではありません。しかし、報道では伝わらない、様々な現状に関して認識し、宮城県と東京都のMSWが共に考えてゆく貴重な時間となりました。

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住民の方々とのディスカッションの様子

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「はらこ飯」

亘理町荒浜地区~きずなぽーとわたり~いちご団地~仮設住宅・集団移転地
~18:00仙台着

 ディスカッション終了後、村上さんと現地の方々の案内で荒浜地区などフィールドワークを行いました。

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荒浜地区にて
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きずなぽーとわたり  いちご団地

 「きずなぽーとわたり」は、2014年10月4日に亘理町の交流拠点として設立された水産センターです。住民の方々とディスカッションにおいても「明るい話題」として挙げられていました。1階は荒浜の産直施設「鳥の海ふれあい市場」があります。この市場は元々町営の温泉施設にあったのが、震災後津波にて壊滅、仮設店舗を経て、今回の移転となりました。
 その後、いちご団地(山元いちご農園)、亘理の仮設住宅訪問を経て、今回の行程は終了となりました。
 仙台に向かう途中の車中では、宮城県MSW協会の会員でもあり、日本医療社会福祉協会災害支援チームの石巻現地責任者として活動されている畑中良子さんより、石巻市の現状についてレクチャーを行って頂きました。なお、日本医療社会福祉協会災害対策本部のFacebookにおいて、畑中さんによる石巻市に関する情報や動向について、ほぼ毎日更新されています。是非ご覧になってください。
 今回の訪問に関して、多くの状況や様々な問題を学ぶことが出来た反面、少し駆け足になってしまったことを反省しております。また機会をみて、それぞれの各地域を訪問したいと思っています。
 様々なレクチャーやコーディネートをして頂いた村上さんや、庄司会長をはじめとする宮城県MSW協会の方々、赤井江マリンホームのスタッフの方々、語り部の庄司アイさん、震災時の過酷な状況や現状の問題について語って頂いた亘理町の現地の方々、大変お世話になりました。深く感謝致します。

(3)参加者の感想

 今回、都協会会員の報告と併せて宮城県協会の方々からも感想を寄せて頂きました。大変感謝致します。

~宮城県協会の方々の報告~

住川 くるみ(仙台オープン病院)

 平成26年11月30日、東京都医療社会事業協会会員6名と宮城県医療社会事業協会7名、加えてジャーナリストの方1名を含めた14名参加のもと、山元町・亘理町を中心に被災地への訪問を行いました。
赤井江マリンホームでは東日本大震災における職員方の対応方法を学び、山元町では庄司アイ様の民話を含めた当時のお話の講話や庄司会長の案内のもと街の散策、荒浜地区では地域消防団の方々と被災地の現状についてのディスカッションの実施、また仮設住宅や集団移転地、イチゴ団地の見学と、1日という短い時間ではありましたが、濃い時間を過ごすことが出来ました。
 今回の訪問に伴い、大きな被害を受けた地域の情報をテレビで知っていたつもりでも、直接現地へ伺い、住民の生活は日々どのように変わっているのか、またはどのような点の復興が遅れ、足りていないかというお話を聞き現状を見る事で、いかにテレビ等の情報は一部である事が感じられました。そして、住民の方々に還元されにくい住居の確保や金銭面、心理的な問題は本当にまだまだあるのだというも知る事が出来ました。
 今後関わらせて頂く患者さんの中には被災の影響を受けた方が必ずいらっしゃると思われます。これからの業務の中で今回の訪問経験を活かし、被災地の現状を以前より知る工夫を行い、被災された患者さん・ご家族様の考えや思いも以前よりもより一層受け入れられる様にしていきたいと思います。

 

浅利 俊太郎(仙台オープン病院)

 この度、東京都医療社会事業協会の皆様と、岩沼市と亘理町の被災地訪問に参加させて頂きました。
 今回の訪問では、赤井江マリンホーム鈴木事務長様やと当協会会長のお母様から、東日本大震災の悲劇を繰り返さないために、震災当時のことを語り継いでいくことの大切さについて御講話頂きました。
 私は、2度目の被災地訪問でしたが、あれから3年半経った現在も、亘理町荒浜地区の住人の方々が語ってくれたように、被災地の暮らしには、震災の爪痕が深く残っておりました。いつになれば、本当の意味での被災者にとっての本当の復興は訪れるのだろうかと考えさせられました。
 東日本大震災のことを、テレビや新聞等のマスメディアを通した表面的な理解で終えないためにも、今後もこのような機会があれば積極的に参加していければと思います。又、宮城県のMSWだからこそ出来る支援の在り方について、模索していければと思います。

 

菊地 知憲(総合南東北病院)

 岩沼市にある特別養護老人ホームマリンホームにて事務局長の鈴木信宏氏から、「震災時の対応から現在の施設の再建に至るまでの経緯」を当時の写真を用いながら話をしていただいた。マリンホームは海から非常に近い距離に位置していたにも関わらず、特別養護老人ホーム、デイサービス等の利用者及び職員で津波が原因で亡くなられた方はおらず、仙台空港への迅速な非難の決断と実行が被害者なしという結果を導いたことが理解できた。これはその前に起きたチリ地震津波の際の避難誘導で明らかになった課題点を分析し、指示命令体制をはっきりとさせたことが有効であったと鈴木氏は述べられていた。震災翌日から当院併設の介護老人保健施設のマリンホームの利用者が避難され、職員と共にケアを行ったことが鮮明に思い出された。
 マリンホームを後にし、山元町歴史民俗資料館にて当協会の庄司克哉会長の母である庄司アイさんからお話していただいた。震災の際に庄司さんは自宅で夫、孫と共に家ごと流され、九死に一生を得た。現在も精神安定剤を服用され、心の中に消えない傷を抱えながらも、震災の体験を後世に伝えなければならないという強い信念の元、山元町民話の会の中心として、被災者への聞き取りを行い、「語りつぐ~小さな町を飲み込んだ~ 巨大津波」をまとめられていた。また各地で講演を行い、民話を通じて震災体験を伝える活動を続けられているとの事。最後に山元、相馬で語り継がれていた民話をお話いただき、その中で今回の東日本大震災を超えた津波被害が過去にあったことが民話として残っており、それを震災前に語り継ぐことができなかったことの無念さを感じていることとの事だった。また庄司会長に自宅周辺を含めた山元町内の案内をしていただき、震災で一切が何も無くなり、そして何も生み出されることが無くなった場所になりつつあることを改めて実感した。
 その後、亘理町荒浜の公民館で3名の被災者の方にお話を伺い、意見交換。自営業を営みながら仮設住宅で生活する方、地元の消防団に所属する方、荒浜で自宅を再建された方のお話を伺い、被災者の中でも一人ひとり、家族毎に抱える状況は異なり、その深い爪後はまだまだ残っていた。また東日本大震災、被災者に対する配慮や関心が薄れてきているが、被災者の抱える問題は全く解決されていないことへの無念と憤りを表現されていた。その状況に対して被災者同士の繋がりが大きな支えになっているとの事であった。また亘理町内の海岸、復興公営住宅、イチゴ団地等の見学を行った。
 今回、私が居住する岩沼、そして所属する機関の診療圏である亘理、山元町を訪問した。
印象として残ったのは「まだまだ復興は全くなされていない。」という被災者自身の言葉である。そして、最も危惧されていたのは、関心が薄れつつある被災地への日本全体の意識である。人間は自分の起きた問題以外はいつの間にか忘れてしまう。今回の震災で私が得た教訓は震災や事故などはいつ自分に降りかかってくるか誰にもわからないということである。今、健康で穏やかな毎日を過ごすことが奇跡であると震災の時、私は感じた。しかしながら、いつもの生活が戻るに連れ、奇跡が当然に変化してしまっている。そのことを被災者の人々は肌で感じている人がいるかもしれない。そして、庄司アイ氏が実践している民話を語り継ぐ、生きる限りそれを続けていくという信念は私自身が見習うべき姿があった。私自身が震災を忘れず、できることを継続して続けると共に、私ができることは何かを問う機会となった。

 

~都協会会員の報告~

松山容子(島田療育センターはちおうじ)

 11月29日、30日の日程だったが、都合で30日のみ参加した。宮城県へは震災以後何回か行っていたが、今回は、特別養護老人ホームと語り部の方のお話があるというので期待して参加した。
 30日朝仙台駅で待ち合わせ、まずは特別養護老人ホームへ、「奇跡の脱出」―3.11のマリンホーム―という冊子がすでにあり、説明して頂いた事務長はこの3年間にかなりの回数、全国で講演されているとのことだった。風光明媚な海岸べりにあったしゃれたホームがあの震災後の津波で無残な姿になってしまった写真をみせられ、その中の人々は全員無事に空港へ避難できたという本当に奇跡の脱出の経過を伺った。前年の避難訓練の教訓が生き、避難訓練の必要性がよくわかるお話だった。現在は、別の場所にホームは移転して、避難していた方々も落ち着いた生活に戻られたと聞いた。ホームの移転に伴う建設の問題、教訓を生かした設計、元に戻られるまでの経過などご苦労が多かったことは想像に難くない。そこで働く職員さんも同じ被災者であり、それぞれがそれぞれの思いをもっていることをまとめたものが、「奇跡の脱出」であり、一人一人の思いを次に伝えていくことの大切さを教えられた。
 次は、宮城県医療社会事業協会会長のお母様の庄司アイさんの講話。山元町の歴史資料館の1室をお借りしてのお話。アイさんは元町営保育園の保育士さんで民話の語り部でもある。民話には津波の伝承がかなり残されていたとのこと。それなのに何故今回生かせなかったのかという深い痛恨の思いからお話をしてくださった。津波が内陸地のどこまで入ってきているかの地名や言い伝えがありそのことを語り継いできたのにというお気持ち。山元町は海からかなり離れたところにあった町舎も津波で流されてしまい。町民の犠牲者の数もかなり多い。庄司さんのお宅もアイさん夫婦と孫娘、愛犬をベランダに乗せたまま長時間漂流した。その間、見慣れた山や建物が近づいたり離れたりしたという。アイさん自身、これが、津波だと納得できたのはかなり時間がたってからのこと
アイさんはこの経験を、民話の保存・普及活動を続けてきた「やまもと民話の会」のメンバー6名と、生き残った者がなすべきこと、「語り継ごう」を合言葉に町民60人の被災証言を聞き取り、3冊の冊子を自費出版された。それを1冊にまとめた全国版として小学館から「小さな町を呑みこんだ 巨大津波」を出版された。お話を伺っていて、何回も涙がでた。お話がお上手だっただけでなく、ご自分の責任として、新たなことに取り組まれたこと、それが形になったこと。素晴らしいことだと。今回の企画に参加した価値があった。勿論、その後の亘理町の本当のはらこ飯、仮設住宅、集団移転のお話、いちご団地などご紹介したいことは山ほどあるが、ますは、順番に感激したことを述べさせていだいた。現地には何回いっても新たな感動や教訓、エネルギーがある。また今後も都協会の活動としても震災支援の継続をお願いしたい。担当の方々、お疲れ様でした。ありがとう。

 

根上啓子(亀有病院)

  11月29日(金)~30日(日)の2日間で宮城県内の南方にあたる仙南地域にある岩沼市⇒山元町⇒亘理町等の被災地訪問と被災された方の話を直接聞かせて貰える訪問の旅でした。復興という2文字がこんなにも遅々としてすすまず、人々の気持ちを複雑にしている現状を知る機会でもありました。
 復興という言葉が全国的にも拡大してからはや3年8か月が過ぎましたが、被災者の方々からは、心の復興は一向に進められていないという言葉がとても心に重く響きました。

 今回の最初の訪問地は、岩沼市にある特別養護老人ホームでした。まず、事務長より3月11日の施設全職員の行動―「津波からの脱出」の話を聞かせて頂き全職員のチームワーク、勇気、判断力の的確さ、安全な場所への移動(仙台空港)の達成、家族への報告等々の話をPPにて説明を頂き感激と感動を感じました。
 次に訪問したのは、仙南地域の一番南に位置する山元町でした。当地では「山元民話の会」の代表者の庄司 アイ様とお会いして庄司さんの言葉を通じて語られる被災体験には涙がにじんでくるお話しが多々ありました。更に、庄司さんから「心の復興はまだまだ。」、「家族全員で安定剤を飲んでいる人もいる。」、「皆で手と手のつながりを作っていく。」等々の言葉を聞き、山元町民の希望する復興は何か、何処にあるのか、されているのか等々を考えさせられる思いでした。町役場職員は、未だ仮設住宅の状態で仕事をされているのが現状でした。
 民話のかたりべの第一人者である庄司さんは、ご自身の被災体験談を日本国中の皆にかたり伝えることをライフワークとして元気に飛び回わっているご様子をみせて頂きもっと大きな輪となり語りつなげる大事さを教えられました。又機会が有れば宮城県の民話もゆっくりと聞かせて頂きたいと思いました。

 最後に訪問したのは、山元町の北側に位置する亘理町荒浜地区の仮設住宅、集団移転地、イチゴ団地などを訪れました。当地は宮城県の沿岸地区の漁港でもあり多くの漁師さん達が生活されていた地域でもありました。住民の方々とのディスカッションの時間を持ちながら現在の生活状況、復興の進捗状況、被災住民との生活環境の変化及び問題などを聞かせて頂きました。特に、以前は仲の良かった近隣住民との小さな諍い、意見の食い違いから集団移転の難しさ等々の住民の方々生活全般に関する心境状態と生活環境変化に関するストレス等を聞かせて頂き「復興」の二文字が再度蘇ってきました。資材の高騰、職人不足等の為住宅建設の延期をせざる得ない状況なども知り家族との新たなる生活が社会情勢で上手くはかどっていない現実も知りました。

 我々がメディア部門を通じて知りえる復興は、目で見える部分のみで進められているが、被災住民たちの希望する復興は時間の経過が進めば進むほど希望との隔たりが大きくなる。更に個人個人へのストレスも増加していくが、経済的支援もさらに膨らんでいるのが現実です。

 我々としてできる事は立ち止まらない支援と被災者たちを忘れないことが大切でもあると感じた訪問でした。

 東京MSW Vol.331と、日本医療社会福祉協会のMSW災害支援ニュース第4巻(第7号)にも報告が掲載されています。併せてご覧になってください。

[2]「MSWと災害を語る夕べ」のお知らせ

開催日時:3月26日(木)19:00~21:00
会   場: 都協会事務所 豊島区南大塚3-43-11 
福祉財団ビル5F 03-5944-8912                                     
参 加 費: 無料です。軽食(災害支援食)用意予定。期待して下さい。
申 込 み: 会場の用意があるのでお願いします。当日の増減も可です。    
申込み先 :都協会事務局 03-5944-8912             
もしくは 牧田総合病院 MSW 加藤 宛

  • 「被災地」って行ったことないけど気になる…
  • 「災害支援」に参加の時間なんてないけど、何かしなくちゃって気持ちはある
  • 支援後 東京に戻ると愕然とする!何なんだこの温度差?!
  • 被災地ツアーで人生観が変わった!でも生活は変わらない!いいのかな?
  • 日常業務で出来る支援ってあるのか?
  • 病院の中でMSWが出来ることって?
  • 明日、大災害が起こったら!私に何ができる?!

 こんなつぶやきを語り合う企画をしました。座談会形式ですので、気楽にご参加ください。
 最近の東北の様子、20年目の神戸の様子、中越のその後や、避難された方々への支援などの報告も有ります。地域で、災害への備えが始まり、MSWが企画に参加している報告、「帰宅困難者」のための訓練参加体験などの話題も有り…みんなで沢山話しましょう! 

  「つたえる」では、会員の皆様からのご意見を募集しております。震災と、その支援に関しての意見や想い、伝えたいことなど、是非お寄せして頂ければ幸いです。字数など、特に細かい制限はございません。
 掲載希望の方は、都協会事務局にご連絡の程、よろしくお願い致します。

過去のバックナンバーは当協会のホームページにて閲覧可能です。
http://www.tokyo-msw.com/top_links/shinsai/tsutaeru/saigai_news.htm


発行 一般社団法人 東京都医療社会事業協会 震災支援対策委員会
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