2019.08.23
つたえる 2019.08.23 No.55
 6月18日に新潟県や山形県沖を中心に震度6の地震が発生し、7月に入ってからも九州を中心に豪雨が発生するなど、全国各地にて自然災害が発生しています。
 被災された方々には謹んでお悔やみ申し上げます。また、お亡くなりになられた方々には心よりお祈り申し上げます。
 大阪府北部地震や、平成30年7月西日本豪雨から1年が経ちます。未だ数千人以上の方々が仮設住宅での生活が続いています。
 東京も含め、全国各地で災害が起こりえる状況であること、そして災害発生以降、長期的な支援が必要となる現状において、「支援と受援」の備えが職能団体としても常に求められます。
 6月の日本医療社会福祉協会全国大会においても、関東のMSW協会同士の協働を深めていくことの重要性が問われました。
 また、東京都の災害福祉広域支援ネットワークを通じて、他の職能団体とも協働に関しても、より推し進めている段階です。
 協会として、災害への対応力をより強化出来るよう、今後も務めていきます。

東京都医療社会事業協会 災害支援対策委員会
委員長 加藤 淳(牧田総合病院)


[1] 今年度の災害支援対策委員会に関して
 協会の理事改正に伴い、災害支援対策委員会も新たなメンバーも加わって新体制となりました。委員長・副委員長に関してですが、
委員長:加藤 淳(社会問題対策部 牧田総合病院)
副委員長:小林 直毅(一般会員)
冨士川 泰裕(総務部理事 康明会病院)
以上のメンバーで引き続き務めさせて頂きます。今後とも何卒よろしくお願い致します。


[2] ふれあいフェスティバル相談支援報告(第2報)
 前号に引き続き、2019年3月17日に開催されたふれあいフェスティバルにおける相談者のその後の支援経過についてお伝え致します。
 ※なお、相談者の方からは「多くの支援者に現状を伝えられるなら」と、記事掲載の承諾を頂いております。

災害支援対策委員会 武山 ゆかり(豊島区医師会)

 学校や役所はしっかり10連休、その後に不登校になるおそれもあるのでは?と危惧する
親も少なくない。前号で報告した広域避難中の中学生のことが気になって、母親と連絡を取った。中3に進級し、かつて兄が通っていた隣区の学校に笑顔で通えているとのことだった。通学の不便さはあっても、毎日のように冷たい視線にさらされていたことを思うと、安心して高校進学の準備ができると母親から安堵のことばが聞かれた。
 しかし、前の学校で申し込んでいた行事写真や年度末の配布物は未だに届かないので、請求しようか、もう少し待とうか迷っている、などまだ落ち着かない日は続いている様子。
 福島に残り、ひとり頑張っている父親と2世帯分の経済をパートで支える母親。親の苦労を気にしつつ、他者の視線を跳ね返し助け合っている兄弟。小説や週刊誌の記事ではなく、現実に遭遇したこの相談には、まだ私たちが解決していない問題も、残している。家賃補助が打ち切りになり、当初避難した母の実家のある区の公営住宅から転居した隣区で、誰も知り合いの居ない中学入学、父親の転勤、母の就労など、たぶん生活の変化やストレスから発症した過敏性大腸炎で、しばしば学校を休まざるを得なかった彼が通院していた医療機関の対応についてだ。学校でのいじめがエスカレートし、保健室に行くことも禁止されたことを担当の医師に相談した際に「学校のことはこちらでは踏み込めない」という返答で、アドバイスさえなかったとのことだった。悩んだ母親はその機関の医療ソーシャルワーカーにも相談したが「医師からオーダーが出ていないので相談にはのれない」と断られたという。支援交流会でこの相談を受けた時、即「学校へも、その医療機関へも、ご一緒しますよ!息子さんが、必死で我慢して通っていることを、一緒にどうにかしましょう!」と母親に連絡先を渡し、後押しを約束した。
 その後春休みに突入して、もう転校したいと意思表明した息子さんを、東京弁護士会主催シンポジウム「震災から8年 改めて子どもの支援を考える」に誘い、いざとなったら後押しもお願いしておいた弁護士にも引き合わせた。転校希望とその理由を、校長、教頭、担任に話しに行く時も同行を予定したが、祖父が母親に同行してくれることになり本人、家族とも少しずつ力を出せる状況が出来てきた。短期間ではあったが母親の奔走で転校が実現したが、こちらはメールと電話で励ますだけで事は進んだ。体調も悪くない様子だ。
 所属する組織の事情で、患者に添って動くことが難しく「医師の指示」が行動を縛る場合も有ることは理解する。しかし患者・家族の発しているSOSに応える方法は、多々あるのではないだろうか。また八方塞がりであっても、不安や気持ちの受止めは必要と考える。     
 「相談にのること」を拒否されたという声が、巷の相談機関に属する私の耳に、最近かなり聞こえてくるようになった。ともすれば、たくさんの複雑な問題を巻き込んだ問題となる被災者からの相談は、たしかに日常の業務以上のことを要求されるかもしれない。しかしだからこそ、苦しんだり、出口が見つからず、悩んだりしている方が、医療と言う切り口で、やっとたどり着いたのが、やっと助けてと言えたのが、私たちMSWなのではないだろうか?被災者支援は、見えない形で、まだ必要とされている。

※今年度の「ふれあいフェスティバル」ですが、2020年2月29日(土)弁護士会館にて開催が予定されています。詳細については決定次第、改めてご報告致します。

[3] 2019年3月30日 サテライトオフィス見学について
災害支援対策委員会 小菅 英樹(若木原病院)

 当協会は事務局が豊島区大塚にあります。そのため首都圏が大規模災害に襲われた場合、協会の機能が停止する可能性があります。そうした想定で設けられたのがサテライトオフィスです。設置場所は大塚から離れた、地盤の強い八王子です。

 私はオフィス見学にあたり、妄想を抱いていました。
 八王子の山奥のマンションの一室で会議用テーブルがあり、寝泊まりでき、人が集まって対策会議を開く・・・。などと考えていました。

 そして当日。八王子駅付近で集合して向かったのですが、想像とは異なり歩いて向かいました。(私の妄想はバスで山奥へ行く・・・でした)
 JR八王子駅から北西に向かって10分ほど歩くと到着し、驚きました。
 そこは印刷物をプリントする店舗だったからです。(当協会がデータ管理を委託している(株)エルテクニカでした)
 マンション1階に店舗があり、そこに会社の方(代表取締役 遠藤宗克さん)がいて店舗内の一室に案内されたのですが、そこがサテライトオフィスだったのです。
 そこは八人ほどが座れるテーブルが一つある6帖ほどの一室でした。
 そこが発災後、大塚の事務局が機能不全になった場合、初めて都協会本部になるのです。

 その後、遠藤さんがノートパソコンを使って説明をしてくださいました。
 事務局のデータは、ここのパソコンで見ることができる事。セキュリティがしっかりしている事。
 常時バックアップされている会員データを見るための方法。などについて学びました。
 事務局では、会員情報など様々な情報が管理されていますが、災害時もデータが守られ、会員の安否確認などができます。

 そうした話を聞き、このサテライトオフィスがどの様に生かされるのか考えてみました。
私たちの今の生活はたくさんの社会資源が適正に機能することで支えられています。食べ物を作る人がいて、運ぶ人がいて、販売する人がいて。食べ物一つとっても、たくさんの人の関わりで初めて口にすることができます。
 そんな高度で脆さもあるシステムの上に私たちの生活があります。

 では災害でそれが失われた時、何が起こるのか?
 3.11の時の停電やスーパーの食料品不足などを思い出しても、システムが働かなくなった時には様々な事が起こります。そしてその時必要となるものは、なかなか想定できません。
想定できないからこそ、様々な準備をする。このオフィスも私たちを救うものの一つになるのではないかと思うのです。
 準備したものがすべて活用されるとは限りません。ですが、できることから準備をしておく。それが大切な事だと感じました。
 (「会員の安全を守る事務局の機能を麻痺させない」「管理しているデータ等を失うことなく災害時にも活用できる」「災害時も、そのあとも、都民のために働くことができること」を目的としています。)

 サテライトオフィスがある事を知らない会員の方もいらっしゃるかと思いますが、是非こうした備えがある事を覚えておいていただけたら思います。



[4]埋もれた在宅被災者
災害支援対策委員会 武山 ゆかり(豊島区医師会)

 テレビ番組で、懐かしい風景が流れていた。宮城県女川の荒浜地区を「在宅被災者リスト」の自立支援要に〇のついた家を訪ねて歩いたあたりだ。カメラが追うのは石巻であちこち一緒に動いたボランティア仲間「チーム王冠」代表の伊藤健哉さん。見慣れた道を進み訪問した家はナント、かつて震災のあった年の暮に、とりあえずの食料を運び、生活保護の申請を手伝い、一部損壊の家を何とか再調査へ、と働きかけていたYさん宅だった。
 当時、協力して動いていた「石巻医療圏・生活復興協議会」の住環境サポート部門に引き継ぎ、その後自立支援グループは女川から撤退したために、Yさん宅はその後どうなるかなぁと思いつつ、食べることは可能になり、友人との行き来もするようになり、住宅の被害はまぁ、あるけど…、と気にかけつつも記録のみ残して東京へ帰ってきた。
 カメラを前に、Yさんが語る補修費用が出なかった一部損壊の家で8年間も風呂に入れず今日まで来たこと、隙間風に苦しめられてきたことを示す、あの当時より傾きの進んだ土台や割れた風呂のタイル壁をテレビは追っていた。王冠の伊藤さんの働きかけによっても行政は屋根の有る家の被害を、住むことの出来ない全壊とは認めず、弁護士会の協力を得て売れる見込みのないこの家を「売る」書面を作成した。その上で、現在空室のある復興住宅への申し込みを後押し、ついに8年目にして住宅への入居が決まった。新居のカギを開け、風呂桶に入ってみるYさんの笑顔と伊藤さんの嬉しそうな顔に、懐かしさがこみ上げた。同時に、Yさんにすまなかったなぁと、人任せにして帰ってきたことを後悔した。
 生活保護を受給していても、医療機関に繋がっていても、気にかかることがあったなら必ず解決するまで、手を離してはいけなかったのだ。ガスも使えず、炊飯器で沸かした湯で体を拭くだけではなく、「健康で文化的な生活」が営める環境は保障されていなければいけなかったのだと、中途半端な支援をしてきた自分のいいかげんさを、猛省した。
 伊藤氏も、今も支援を続けているのは、大丈夫と言われてもう一歩踏み込まなかったために命を落とした方のことがきっかけであったと番組で語っていた。仙台市内で、フードバンクや舫(もやい)や、生協といった様々な支援団体と伊藤さんとで持った会合で、これから何年にも渡って被災地の失業や貧困への対策、生活とこころの支援をしなければ、と語り合った日々から8年経った。これだけの時間が経っても、十分な生活や住宅再建が出来ないでいる在宅被災者や、元の生活に戻れない人々、新たな地で何とか築いた生活基盤を家賃補助打ち切りや倍額請求に戸惑っている人、戻る気力や体力のない人々を、どのように支援していけばよいのか、災害支援にかけられた費用は、伊藤さんの話によれば本当に困っている人の所には廻らず、私たちが関わることが出来た被災者も、ホンの一握りでしかなかったのかも知れない。復興をかけて、と準備されているオリンピックは、被災地の人々を元気づけ経済を潤すことは果たしてできるのか、あらたな格差を産もうとしているのか。まだ、支援は終わっていない。        

投稿日: 2019年7月11日
【番組紹介】NHK 2019年5月26日、NHK総合で放送された「明日へ つなげよう 埋もれた在宅被災者」が、NHKオンデマンドで無料公開されています。

[5]第39回 日本医療社会事業学会にて活動報告を行いました
災害支援対策委員会 加藤 淳(牧田総合病院)

 6月8日(土)、 川崎市コンベンションホールにて開催された第39回日本医療社会事業学会にて、災害支援対策委員会として発表させて頂きました。 タイトルは「8年という時間の経過がもたらす問題~災害時における組織と個人の課題~」、当学会に委員会として発表するのは、2012年以降、今回で8年連続となります。

2019年 神奈川大会

「8年という時間の経過がもたらす問題~災害時における組織と個人の課題~」

【目的】
 東京都医療社会事業協会では、東日本大震災をきっかけに協会内に災害支援対策委員会 を発足し、これまでの8年間、「東京都のMSW団体として出来ること」を意識し、協議・検討し活動を継続してきた。
 今回、職能団体としてのこれまでの活動をふまえて総括し、災害支援・災害対策に取り組むことの課題と今後の指針を検討する。

【方法】
 今年度行った災害時情報集約、伝達訓練後、参加した理事からの報告や感想から、「個人・ 所属組織・職能団体としての責務の間での葛藤」の声が多数聞かれ、委員の多数が強い衝撃を受けたことから委員会として討論を重ねた。また「つたえる」等の活動記録やディスカッションを基に会員の関心の動向や活動の参加などを振り返り、分析を行った。
 また委員会で作成したガイドラインやマニュアルを利用して、地域ブロック単位での活用や災害時連絡訓練の企画実行における問題点等を抽出し、検討した。

【結果】
 被災された方々の支援を目的として2011年に委員会を発足して以降、今後起こる災害への対策も含め、今日まで支援及び災害対策活動を継続している。
 東日本大震災以降、都内避難所における医療福祉相談ブース設置、電話相談、災害に関する講演会や会員・支援関係者向け研修の実施、2016年の熊本地震を経て、被災地へのMSW派遣支援、支援活動報告書の作成など、その状況毎に協議・検討を重ねながら様々な活動を行った。また被災県のMSWとの交流により経験の共有や励ましを行ってきた。
 その経過は、適時ホームページと『東京MSW』に掲載し『つたえるⅠ』2011.3.11~2013.3『つたえるⅡ』2013.4~2016.3までの2冊の冊子に収録し、会員及び関係者に配布した。

 2018年度は主に以下の活動を行っている。
 「協会事業 医療と福祉ホットラインの都内避難者全世帯の通知」
 「災害時伝達訓練と他団体との連絡・情報共有」「避難所運営ゲーム」
 「東京都災害福祉広域支援ネットワーク参加」等


 この8年間の間に委員や理事が入れ替わり、MSWとして災害に遭遇した経験や被災地訪問、被災MSWとの交流などの経験の有無による「認識の差」が生じ、2011年の発足時から現在まで関わっている委員や理事のメンバーが少数となってきた。発災時、何を優先して行動を起こすか、災害を想定し、どのような役割を持つか、被災者のニーズを思い描くかなど、時を経た今、災害についての行動指標、責務、役割など委員・理事間による観点・視点の違いが顕著になっている事が、災害時伝達訓練やその後行なったディスカッション等を通して明らかになった。災害時、所属機関や職能団体の一員として、また個人として、どのような責任を持ち、行動を起こしていくかという問題を、今後の重要な課題として、より明確にする必要が生じていることが判明した。
 平常時においては、災害支援や対策に関する観点の違いがあったとしても、災害発生以降はMSWという職業に携わる社会的使命を持つ職能団体として、協会全体が同じ方向に動けるようにしていかなければ定款にある社会的責任を担う事が出来ないと考える。
 訓練やディスカッションによって課題が明確化した事により、今後協会として取組むべき指針を改めて、より具体的に検討していく事となった。
 今後は、具体的イメージを持って取組める形の「災害時ガイドライン配布」「マニュアルの検討」「会員との連絡体制の強化」「東京都や他団体との連携強化」「大規模災害訓練」各種の「災害研修」等を検討している。

【結論】
 災害発生直後は、所属する機関や家庭を最優先に動かなければならない事も勿論予想される。しかし、災害により医療・福祉のニーズと供給が多大に不安定となる中、医療福祉の専門職の職能団体としての責務を、被災した住民からも医療機関や所属先からも求められる。これは、これまで被災された県のMSW協会の方々による教示からも明確である。
 また、災害発生以降の課題をフェーズごとに理解し、対応策を迅速に検討していかなくてはならない。時間が経過していく中で被災状況が目に見えにくくなり、一方では時間が経過したからこそ発生する問題が少なからずある。生活課題や社会的な課題、そして健康被害との関連に関して、MSWだからこそ関わるべき事、関わることが出来る問題が多々あることがわかってきた。
 災害は決してその時だけの特別なものではない。日常業務全てに直結し、誰にとっても日々の生活やソーシャルワーク全体に関わる問題である事を、協会全体で意識を持ち、備えを意識した活動を引き続き行っていく必要があることをここに報告する。